プロフィール

クレイジードッグス

平成の世に、滲みる昭和の“男唄”…木村充揮と近藤房之助によるこのプロジェクトは、2003年4月に横浜の赤レンガ倉庫で行われたあるイベントから芽吹いた。 そのイベントは「嵐を呼ぶ!タフ・ガイ」と題された石原裕次郎のビンテージフィルム・フェスティバル。“タフ・ガイ”代表としてLIVE出演の声がかかった近藤房之助が共に誘ったのが木村充揮だった。

そもそも近藤房之助と木村充揮の出会いは1973年にまで遡る。近藤房之助が当時、住み込みでアルバイトをしていた名古屋の喫茶店「OPEN HOUSE」に、当時まだ二人組だった木村充揮の憂歌団を招聘してライブを行った事が初の邂逅となったわけだが、あくまでもライブを行ったバンドと店のスタッフの関係である。ステージでの共演など望むべくもない。
その後、憂歌団は4人組となりレコードデビューを果たし、関西の熱狂的なブルースブームの中心として活躍。それに遅れること数年、近藤房之助は京都で結成されたBLUES BAND「BREAK DOWN」に参加し、シーンにようやく登場する。
同じブルースアーティストとして全国をまたにかけ活動している彼らだが、活動開始時期のタイムラグもあり、実際にステージでの接点はほとんどなかった。共に世間でブルースの第一人者として認識されて後も、接点らしい接点と言えば、BREAK DOWN解散後、近藤房之助がオーナーの東京・下北沢のスナック「STOMP」で、打ち上げ帰りの木村充揮と何度か顔を会わせるくらいだったという。

それにも関わらず、赤レンガ倉庫でのイベントに近藤房之助が木村充揮を誘ったのか。そこには、“おもしろいことが出来そうだから”というシンプルな回答があるのみであった。 この日のライブは当然ながら二人のお得意のBLUES満載なのだが、遊びゴコロも忘れない。木村充揮が「ゲゲゲの鬼太郎」(もちろんオリジナル)を歌えば近藤房之助は「おどるポンポコリン」(近藤はB.B. クィーンズのボーカルとしても活動)を歌い、見事にオーディエンスの予想を遥かに上回る展開を魅せた。
その後二人は、関西でもライブを重ね、2005年夏には函館、室蘭、札幌、旭川を巡る北海道ツアー行うまでになる。
出会いから30年、そして濃密なステージを共有して3年。この3年の時間を経て、ステージだけでなく、作品の共有…『男唄〜昭和讃歩〜』制作へと繋がっていくわけである。 二人が目指したのは、男による、男の為の応援歌。まさにタイトル『男唄〜昭和讃歩〜』通り、子供の頃や学生時代に耳にした曲…昭和の“男唄”を讃え、カバーしたアルバムである。 声質も個性も全く異なる二人が時に掛け合いをし、時にハモりながら、お互いのブルースフィーリングを色濃く反映させることで、歌謡曲、流行歌として馴染みのある14曲に新たな魅力が注がれた。
熱いブルースマンとしての側面とともに、“あっくん”“ふーちゃん”と呼び合う無邪気さを持つ二人が唄う、“男唄”。懐かしくも新しく、熱いながらも泣けてくる。老いも若きも心に滲み入る…そんな1枚であった。

『男唄〜昭和讃歩〜』はロングラン・ヒットを続け、雑誌「ADLIB」主催の“アドリブ・アワード2007”の特別企画賞を受賞することとなる。木村充揮×近藤房之助 名義で2008年、LIVE DVD『男唄〜THE 歌謡 SHOW〜』、シングル『クレイジー節〜昭和讃歩〜』 のリリース、さらに07年のFUJI ROCK 、08年のARABAKI ROCK FESTをはじめとした、全国各地での数々のLIVE、セッションを重ねていった二人。
オリジナル楽曲を発表するために二人のユニットをクレイジードッグスと名付け、熟成した世界観をより表現するために創り上げたクレイジードッグスとして最初で、そして“男唄”シリーズの集大成となる一枚が遂に誕生する。